壁を溶かす関係作り〜第三回お母さんの安全基地開催

 

■女子中学生も参加

 

今日は「お母さんの安全基地 第三回目」。

一人のお母さんがお子さんの発熱で欠席になったものの、大盛り上がりのうちに笑顔でさよならできたよ。中学2年生の女の子も参加してくれて、子どもの生の声を聞く事もできた。

 

話題は終始コロナ・・ではなく、女子高の頃の同性愛が普通だったという話や、空き家を手放したくない田舎のお年寄りの話。子どもが苦手だと告白したお母さんもいたし、スマホはいらないというお母さんもいた。

 

そこに正解は無く、みんながそれぞれの話したい事を自由に話した。マウントを取ろうとする人も無く、場をしきろうとする人も無く、非常に居心地のいい空気で交流ができたんだよ。

 

ちなみに私は「お豆腐入りのブタ玉」を頂いた。コーヒーとお茶菓子付きで680円。破格だよね。女将さんのあったかさが本当に嬉しかった。

 

■学校の臨時休校は何の影響もない

 

実は、今回の会には、シングルお母さんもいたし、旦那さんがいるお母さんもいた。不登校の子を持つお母さんもいれば、学校へ行ってる子のお母さんもいた。まぁ、両方兼ね備えていたのは私だけだったんだけどね(笑)。

 

これって、私が思い描いていた光景なんだよね。

シングルだろうが、旦那さんがいようが。不登校だろうがそうじゃなかろうが、関係ない。同じ子どもを育てる母親。同じ日本で生きてる子ども。そこに何の垣根もいらないよね。

 

「うちなんて、子どもがずっと家にいるからコロナが来ても何も変わらない(笑)。」

 

こんな会話をできる不登校の子を持つお母さんって素敵じゃない?

実はサロンのお母さんもそんな風に言ってたよ。

「みんな大変そうだけど、うちは大して変化ないんですよね~。」って。

確かに、うちも何も変わらない。

 

■学校はただの託児所?

 

そう思うと、学校ってある意味「託児所」兼ねてたんだなって改めて実感するよね。勉強はそのついで・・的な位置づけでいいのかもって。

不登校

 

親が仕事に励むため、自分の人生を豊かにするため、そして、家族を守るために、学校が親に変わって安全に子どもを預かるシステム。学校はそういう所なのかも。

そこに欲を出して、社会に役立つ人間にするため、とか、標準的な知識レベルの人間に育成する、なんて色々くっつけちゃったから子どもの自由がどんどん奪われてしまったのかも。

 

■余計なルールがあるからはみ出しちゃう

 

先日書いた「アクティブ・ラーニング」を実践するなら、子どもは放置の方が主体的に学ぶ。テーマさえも遊びの中で見つけ出し、それを解決するためにみんなで意見を出し合うね。

 

小さい子も大きい子も混じりあって喧嘩したり、拗ねたり、喜んだりしながらコミュニケーションも試行錯誤も学んでく。ADHDだってHSCだって、たくさんのルールがあるからはみ出してるように感じるけど、必要のない規則を取っ払えば、それはただの個性になるよ。

 

朝の始まりの時間だって決めなければ、朝が苦手な子は遅く来ても「遅刻」にはならない。授業だって、自分で何を勉強するか決めて良ければ自分でルールを課して主体的に学べる。「今日はこの英単語を絶対覚える!」そんなルールだっていい訳で、押し付けられた授業よりはよっぽど自分のものになる。

お好み焼き

 

■はみ出した子には名前を付ける?大人の自己満だよ

 

大人が決めたルールからはみ出した子には何か名称をつけないといけないのかな?それっておかしくない?

生身の人間だよ。DNAが違うのが当たり前のように、体質だって、性格だって、個性だってDNAに連動して違うんだよ。

それを、朝が起きられないからとか、野菜が食べられないからとか、みんなに合わせられないからとかを、やれ親のせい、やれ心の病、やれ異端だなんて子ども自身が可哀想だよ。

 

一旦、壁を取っ払って見てみればいい。

全てのルールを視界から消して、その子のありのままを何のフィルターもかけずに見ればいい。

「なんて面白い子」「なんて集中力」「なんて優しい」「なんてこだわり」・・・。

子どもの色んな生きる能力が見えるはず。

 

■学校の始業ベルはいらない

 

それはきっと、今の社会には適応しないものかもしれない。

でも、実はもう古い社会。

 

始業時間を決めない会社。

その日の業務が終わったらすぐに帰っていい会社。

テレワークを導入している会社。

流れはもう、時間に拘束される働き方ではなく、モチベーションの高さやその人の能力で生産性を上げるシステムに移行してる。

だから、学校には始業ベルはもういらない。その日決めた事をやり遂げるモチベーション。これこそ、主体的に仕事に取り組める人間に育つ第一歩なんじゃないかな。

 

■卑屈を捨てよう

 

ちょっと話が飛躍したけど、壁(ルール)を溶かしていく事で大人も子どもも自由になれる。

社会が決めた「既婚」「未婚」、「不登校」や「引きこもり」。そんな十パひとからげの先入観を捨てて行きたいね。

同じ母親。同じ子ども。ただそれだけの存在として交流していけたら、みんな上も下も無くお互いが尊重しあえる関係を保てる。

 

その為には「卑屈」を捨てる事からだね。自分の事、子どもの事。卑屈に思ってたら顔が下を向いてしまう。

「うちはずっと家にいるから食費がかかってしようがないのよ(笑)。」

「私がお父さん役もやってたら、最近おっさん化してきた気がする~(笑)。」

そうやって笑えたら、目の前に横たわっていた不幸も、ただの事実に変わるはず。

貧富の差、学歴の差、地域の差。そこに大きな壁を作ってしまうのは、卑屈に思う心なんだよ。

 

今回の「お母さんの安全基地」は、そんな壁を溶かすことができると実感した内容になったよ。私もとてもいい経験をさせてもらった。

参加頂いた方、本当にありがとうございました。

そして、女将さん、美味しいブタ玉とコーヒー、ご馳走様でした。

 

最後に、参加したいと思われている方。遠いですが是非、機会を見つけて遊びに来てくださいね。ここには美味しいお好み焼きと優しさがあります。

 

では、今日はこの辺で。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

また明日ね。

 

 

(Visited 177 times, 4 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です