時間を奪うものを再定義~自由に生きる時代自由を選ぶ時代

家事も子育て仕事も、ストレスを感じてしまう裏には「拘束される」という不自由な感覚があるからですね。
要するに「時間を奪われる」「やりたくない事をやらされる」。
そんな自分で決められない状況は、人に不満や怒りの感情を芽生えさせてしまいます。

でも、生きていれば、全ての時間を自分の思い通りに使う事はなかなか難しく、生活するために仕事には行かなければいけないし、子どもがいる限りは、その世話にも急なトラブルにも対処していかなくてはいけません。

ちなみにある調査では主婦が家事に割く時間は、平均一日約3時間だそうです。うち、その6割が料理。
確かに、朝も早くから起きてお弁当を作ったりされている方も多いでしょうし、子どもが小さければ、朝昼晩の3食の準備もしなければいけません。
晩ご飯は、みんなが楽しみにしているだろうからと、手の込んだものを作るお母さんも多いでしょう。
私の周りにも「もう食事の用意がいや~」というお母さんはたくさんいます。勿論、私もその一人です(笑)。

■19,053時間も費やしたのに・・

私は、今でこそ、子どもが大きくなったので、家族全員で揃ってご飯を食べようとも思いませんし、それぞれの都合で食べてくれればいいと思うようになりました。
温かいうちに食べたければ私と一緒に食べますし、チンで良ければ自分で用意して食べます。その日、その時によって違います。

子どもが小さいうちはそんな風にはできませんでしたから、今は随分楽になりました。

先ほどの調査を元に考えてみると、3時間のうち6割が料理の時間とするならば、一日、1.8時間=108分を拘束されているという事になります。
うちの長女は現在25才。そして、今も末っ子が中学2年生なので高校卒業まで料理を続けると考えるとあと4年。
トータル29年は子どもの為に料理を作り続けるわけですね。

計算すると
29年×365日×108分=1,143,180分
これを時間にしますと
19,053時間。
これを24時間で割りますと
793.875日。

まぁ、言ったら、私の人生の約2年以上は台所に立っていたという事になります(笑)。

確かに、外食したり、ケータリングで済ませたり、子どもが作ってくれたりと実際に料理をした時間はこの通りとはいきませんが、一日108分以上料理にかけているときもある訳で、ざっくりこんなものなのかもしれません。

アップデート

■時間はお金で買える

時間は誰にも平等に与えられたもの。
確かにそれはそうですが、文明が発達した事によって、その時間でさえお金で買えるようになりました。

東京から名古屋まで、車で移動しようと思うと一般道なら9時間ほどかかりますが、高速を使えば約その半分の4時間で到着します。新幹線を使えばそのまた半分の2時間で移動が可能です。

新幹線のチケット代11,740円を払えば約7時間という時間が買えるという事になります。

「ちくしょ~お金持ちは時間でさえお金で買えるのか!!!」
と感じてしまうのも致し方無いですよね(笑)。
医療でさえ、最先端なものを受けられるのは、やっぱりお金を持った人たちです。今は寿命でさえ買える時代になったという事なのかもしれません。

まぁ、日常的に使う洗濯機や掃除機も、言わば昔の生活からすれば時間を買っているという事になりますので、文明の進化、テクノロジーの進歩の恩恵にあずかっているのはお金持ちだけではありませんが。

■何のために・・があれば幸福感を感じる

ただ、そこで重要になってくるのが「何のために」という目的です。
11,740円のお金を払って会いたくもない人に会いに行くなら「どぶに捨てるような物・・」と感じるかもしれません。
反対に、遠距離恋愛をしている彼女が彼に会いにいくならば、その倍を払ってでも7時間という時間を買いたいとも思うでしょう。
車で9時間かけて移動することも、その土地その土地の文化や歴史に触れながら楽しみたいという目的があるならば、それは他には代えがたい経験となります。

この目的がしっかりしていると、時間の過ごし方も「早ければいい」という価値観から抜け出すことができます。

どんな大金持ちも、今後の人生に悲観していれば長生きしたいとは思わないでしょうし、逆に、お金は無くても毎日が充実した時間を過ごせていれば悔いのない人生が送れるでしょう。
「何のために」という目的を自分で決める事で、時間の使い方が変わります。
同じ事をやっていても、その「充実感」や「幸福感」は大きく変わり、人生を自分で支配できているかどうかにも直結してきます。

■目的は時間を有意義にする

また、「1万時間の法則」というお話もあります。
人が何かの技術を習得しようと思うと、1万時間を費やせばものになるという理論です。

そう思うと、私が台所に立ってきた19,053時間はそれを優に超えています(笑)。
なので、本来なら「料理のスペシャリスト」になっているはずですが、残念ながら「料理が嫌い」になってしまいました。
なんとも勿体ない話です。

要するに、私には「何のために」という目的が無く、料理は「やらされ仕事」であり「時間を奪うだけのもの」だったということですね。(料理のスキル以外の物は何かしら得られたとは思いますが)

もし、そこに「絶対に麻婆豆腐を極める!」とか「家族の健康は私が守る!」とかいう「目的」が明確にあったなら、今頃は「料理のスペシャリスト」になっていたかもしれません。

■常識的な大義名分は思考停止

人生はこの「やらされ仕事」をいかに減らし、あらゆる事に「何のために」という「目的」を明確化することかと思います。

11,740円を払って誰に会うか、何をするか。
9時間かけてどこへ行くか、何を見るか。

それは人によって自由であり、選択する事が可能です。

ここで陥りがちなのが「嫌な仕事は家族を養うため」という目的を当てる事です。
そんな立派な目的があるのに、ストレスを感じ、病気になってしまう人も大勢います。
それは、私の料理と同じ事なんですね。

常識的な大義名分が邪魔をして、自分オリジナルな目的を探しきれていないのです。

■自分で再定義する

日常の一つ一つに「何のために」という目的を付ける事で、「やらされ感」は軽減されていきます。

私のように、「家族で食卓を囲むことはそんなに重要ではない」と思えたら、「家族が私の時間を犠牲にしている」・・という自己犠牲感は減るでしょう。
そこには、「そもそも家族でご飯を食べる事でしかコミュニケーションを取れない関係事態おかしい」という私の考え方があります。それは、私の価値観であり、「家族」というものを再定義して「やらされ仕事」にならないように、自分で決めた結果の自由です。

私の自己犠牲感が減れば減るほど、子どもの自尊心は上がっていきます。
子ども自身も自由になれます。
愛情の伝え方。「あなたたちは私の宝物だよ」という思いの伝え方。それさえも私は再定義しました。
「こうでなければならない」という常識の押しつけは、私には不自由極まりなく窮屈でしかありません。

■19,053時間を無駄にしてはいけない

価値観は人によって違い、正解はどこにもありません。
ましてや時間の使い方も自分で決められるはずですね。

「やらされ仕事」と受け取ってしまい、私のように19,053時間を無駄にするか、何かを極めるための時間に変えるか。
それは、自分の価値観に従い「常識」を疑う事から始まります。
どうせやらなければいけない事なら、「何のために」という目的をくっつけて、自己投資に繋げられるといいですね。

無駄な事は一つもない。
寄り道でさえ、自分で決めた事ならば無駄にはなりません。

せっかく頂いた人生、自分で決めて楽しんで生きて行きたいですね。

今日は「時間」についてのお話をしました。
いつ死んでも「悔いはない!」と思えるような時間を繋いでもらえたらと思います。

では、今日はこの辺で。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また明日ね。

(Visited 28 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です