不登校を論理的に検証~不平等を認めると平等になるお話

最近、いろいろ掘り下げてしまう私ですが、今日は「不登校」を論理的に掘り下げてみることに挑戦してみようと思います。

■ノーマルが存在するためにはアブノーマルが必要

下記のグラフを見たことはありますか?
よく「集団」を見る際に使われるベルカーブ(正規分布)と呼ばれるものです。手書きですがご了承ください(笑)。

ある一定の集団を見た場合、必ずこういう現象が起こるという図です。
この図の1~5の数字を仮に「学校の成績5段階」とし、縦軸を人数とした場合、「普通」と評される(普通って何?って話ですが・・)3が一番多くなりノーマルとなります。したがって、1や5はアブノーマルに入りますね。

この基準を「学校の成績」ではなく、「偏差値」や「身体能力」、「PCスキル」や「ゲームスキル」などなど、その集団で何を基準にしたとしてもこの現象は現れます。人が集まれば、大体平均値が多くなるというものです。

■不平等を認めると平等になる

このベルカーブをもとに、ある大学の教授が
「日本の義務教育を推し進めた場合、決して公平にはならない。人には生まれ持った能力があり、学校が決める偏差値という指標だけで優劣をつけられるものではない。ノーマルが正しいという強迫観念を押し付けるだけ」
そんなお話をされていました。

要するに、このベルカーブの指標を「偏差値のみ」にしてしまっては、必ず生まれるアブノーマルな人たちには公平な教育は行えないという事です。

1や2の中に入る子どもたちは「納得」や「理解」に時間がかかる傾向にあるので、少数でひとつずつ納得しながら進めると「知る事、考える事は面白い」と考え独自の世界を広げることができるでしょうし、4や5に入る子ども達には、より高いレベルの授業を行う事でその能力を伸ばしていく事ができます。
今の学校教育では、そこまでの事はできませんので、どうしても3を優遇するシステムになってしまうのですね。
生まれ持った不平等を認めることで、平等なシステムを作ることができるのです。

このベルカーブの指標は、もっと多彩でもっと無数のジャンルに広げなければ子どもたちの可能性や未知なる能力を発見し伸ばしてあげることはできません。もちろん、それは大人も同じことです。日本の社会は「稼げる能力」とか「社会性」が需要視される資本主義なので、なかなか多様な指標で見てはもえらえません。

■等しく平等はあり得ない

人が集まる限り、このベルカーブは適用されます。
学力や能力の差は勿論ですが、もっと大きく見れば、貧富の差、容姿の差、忍耐力の差、創造力の差、などなど、内面から外見まで多岐に渡ってノーマル、アブノーマルが決まります。

ことに、遺伝によって決まる容姿や身体的特徴、生まれた家の経済状況などは自分の力ではどうにもなりません。
この世は「等しく平等はあり得ない」んですね。
なので、「平等」は、動物の長である人間が作り上げるしかないものです。

宗教でよく言われる「人間はみな平等」という教え。それはあくまでも人間が目指すべき理想であって、もともとの自然界では弱いものも強いものも存在する「不平等な世界」が当たり前なんですね。

■見ないふりをする日本

学校は、このベルカーブには対応できません。あくまでも、成績でしか評価できません。いくら、ゲームが得意でも、ネットに詳しくても、スケボーが得意でも
「そんなものでは生きて行けない!」
と身もふたもない事を言うしかありません。その指標はありませんから。

でも、学校では
「人はみな平等であり、努力は報われる」と教えます。
努力は報われないこともありますし、そもそも何回も転んで練習したスケボーへの情熱や努力を「稼げない」という大人の価値観で排除してしまう学校教育は、矛盾しているとしか言えないと思います。

大人社会でもそうですね。
みんな平等ではないことを知っている。遺伝や生まれで多くの事が決まってしまう社会である事を肌身にしみて理解している。

だけど、そこには目を向けず
「自分の努力が足りないから」「自分の性格が悪いから」「自分の能力が足りないから」
と、頑張りすぎてしまう。5とまでは言わなくても、せめてノーマルな3でいようと個性を押し殺してしまう。ここに、今の日本の生きづらさがあるように思います。

■親からもらった遺伝や個性を生かす

このベルカーブの現象は人が集まれば現れます。
学校へ毎日行く・・という指標にしたら、不登校は1や2の位置づけとなるでしょう。
では、この指標を「好きなことをできる時間の量」とか「交通事故に遭遇する危険度」などにするとどうでしょうか?
同じクラスの中、学校の中でも、5の位置に行く子どもたちというのは不登校の子が圧倒的に多くなると思います。

実は、偏差値を上げていくよりも、「好きなことをできる時間」を確保する生き方というのは人生の幸福度に繋がりますし、「交通事故に遭遇する危険度」などは命に関わります。私の個人的意見ですが、とても大切な指標であなどれないと思います。

人が集まれば、必ずノーマルとアブノーマルは存在する。それは個人差があるのが生物であり人間なので素直に受け入れるべきです。
ただ、その指標を社会や学校に合わせなくていい。そう思います。それに合わせて行こうとすると、親からもらった遺伝も個性も生かすことができない事になってしまいます。

■右肩上がりの成長は無い

また、もう一つのグラフをご紹介します。

これは成長を現したグラフで、俗に「右肩上がり」とも言ったりしますね。
国も会社も人生も右肩上がりで成長していくもの・・・。そんな風なイメージを持ちがちですが、国は今や横ばいどころか少子化によって下降していくと言われています。あの爆上がりの成長を見せたインドも、勢いが落ちてきたと聞きました。

また、会社も同じで、不動のトップを走っていたTOYOTAが危ないと言われるようになり、小さな会社のみならず銀行までが潰れています。

右肩上がりの成長はある期間だけを見ればあり得ますが、永遠に続くものではないという事です。

■何をもって成長と言うのか

そこで、人の人生を考えるとどうなるか・・・。
生まれたばかりの赤ちゃんを0として寿命を全うしたおばあちゃんを100とした場合、人間は年齢とともに成長し、寿命が来た頃には達観しているのが理想・・。そんなイメージを持っていないでしょうか。

なのでついつい「20になってまだそんなことを言ってるのか!」とか「40にもなって働いてないって・・・。」と、年齢であるべき姿というものを強要してしまう事になるように思います。

要するに、この成長グラフが人間のあるべき姿と思ってしまうと、人はいつまでも頑張り続け、昨日よりも今日、今日よりも明日と成長していなくてはいけない気持ちになってしまいます。考えただけでしんどくなりますね(笑)。

そもそも、「何をもって成長と言うのか」。その定義をないがしろにしてはいけません。
かのスタジオジブリを立ち上げた宮崎駿さんは、大変すばらしいアニメを作られますが後輩やスタッフからすると、鬼のように思われる一面もあったそうです。人間とはそういうものです。

■聖人君子はゴールにしない

とかく日本は、人格・・要するに心の成長を重んじます。
感情を表に出さないことが立派な人。嫌な事でもやり抜く忍耐力が素晴らしい。相手の身になって考えられる優しい人に。まるで聖人君子のような人格をゴールに置いています。

でも、ここで思い出して欲しいのがベルカーブです。
何かの基準を設定したとたん、ノーマルもアブノーマルも発生してしまうのです。そして、学校教育のように、アブノーマルな人には、ノーマルな人が受けるようなシステムでは対応ができないという事も理解できます。3に合わせたシステムでは成長することができないんですね。

まさに「人格」は最たるものだと思います。
人格は、親からの影響や育ってきた環境。何を学び、誰に出会い、そこでどう考え何を見つけてきたかで変わってきます。もちろん、遺伝によるものもかなり影響しているとも聞きました。

この人格を「聖人君子」をゴールに置いて、みんなと同じにしようと思うこと自体無理があるんですね。

■何回でもアブノーマルになる

人間は成長し続ける・・・。確かに成長を喜びととらえますし、自分の能力や経験値が上がると幸せを感じます。
でも、その成長は止まることもあれば、間違った努力をしてしまい、目指していた方向への伸びは急降下となることもあるでしょう。

そんな時はまた戻ればいい。
その指標で5を目指して頑張っていたとしても、「ここじゃないや」「こうしたかったんじゃないな」「私には無理だ」と思ったなら、またベルカーブの1になってアブノーマルから始めればいいんです。

例えば、萩本欽一さんが70歳にして大学生になったように。カーネル・サンダースが60も過ぎてから営業を始めたように。一から学びなおせばいい。年齢を気にしていると人生が勿体ないです。

「ここでは楽しくない」「やりたい事ではなかった」
そんな思いが芽生えて、心を病んでしまうぐらいなら、何回でもアブノーマルになる。成長グラフの0に戻って学びなおす。そうすると、知らないうちに、成長グラフの指標が全く違うものになって成長の伸びを見せているのに気がつくはずです。

■不登校はラッキーという結論

このベルカーブと成長グラフは、多くの事を語りかけてきます。
受け取り方も分析の仕方も人それぞれ。

私は、この2つの図を見て「不登校はラッキーだ」という結論に至りました。
もう基盤ができている。自分の基準を探す基盤、何にでも挑戦できる環境。そして親の理解。学校から距離を置いたことで、そこの評価に洗脳されない自由な思考。

毎日学校に行って、定期テストや順位づけや受験なんかに脳を占領されていては、伸び伸びとした創造力もワクワクする心も抑えられてしまいますから。

勇気を出して学校を離れた子ども。それならば、親が子どもにしてあげる事はただ一つですね。
「人生を謳歌しろ!」それに勝る応援はないのではないでしょうか。
その為にも、親自身が人生を謳歌しなくてはいけませんね。言葉に重みが出ません(笑)。

何回でもアブノーマルに戻る勇気。
何を基準に成長グラフを描くのか。
そして、人は不平等だからこそ面白いのだと思える多様性。与えられた「自分」をいかに楽しむか。それこそ人生を謳歌することにつながるように思います。

という事で、今日は珍しく図を使って検証してみました。
脳みそのしわが増えたように思います(笑)。
では、今日はこの辺で。
またね。

(Visited 25 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です