悪者を生み出すTwitterの気持ち悪さ~後編

前編からの続き

なぜそうなったか

今回のツイートで私が必要だと思った事は以下です。

・双方の声を聴く
・子どもの声を聴く
・周りの子どもの声を聴く
・「なぜ?」を掘り下げる
・対話

要するにコミュニケーションです。対話に尽きます。
ただ、覚えておかなければいけないのは、教師は本音を言わないという事。言えないといった方がいいかもしれません。
仮に「あなたのお子さんはいつも教師に暴言を吐き、授業を混乱させ、みんなに迷惑をかけていました。」
と言ったところで、
「それをまとめるのが教師の仕事でしょ。」
と言われれば何も言い返せませんから。

だからこそ「なぜそうなったか」に目を向ける必要があるんですね。その背景を知らなければ不毛の争いに突入するだけです。

ノーリスクはない

よく学校と保護者の間で交わされるのが、「子どもにもしものことがあったらどうするんですか!?」という会話です。
確かに、過去、クラブ活動で生徒が亡くなったり、管理責任の軽視で事故が起こり子どもが亡くなったり、いじめが原因で自殺してしまったりと、学校へ行った事で子どもが尊い命を落としてしまう事件がありました。
もう少し気にかけてくれたら・・・そんな怒りや憎しみを抱いて当然です。もし我が子ならと思うと誰しも心が痛むと思います。

ただ、過去をさかのぼれば、子どもの育つ環境にノーリスクはあり得ません。病気、交通事故、転落、水難、行方不明。学校の帰りに事件に巻き込まれてしまう事もあります。
「となりのトトロ」でメイが迷子になった時も、村の人が池の捜索をしていたぐらいですので子どもが池に転落する事故というのが当たり前に起こっていたという事が想像できます。

子ども・・と言うより、この世の中にノーリスクは存在しない。
だからこそ、親は子どもに考える力と仲間と力を合わせるすべを教えていかなければいけないと思います。親が守るのではなく、自分で自分を守る能力を身に付けさせなければ、「ノーリスクは無い社会」で生きる強さは身につきません。

勿論、運不運は必ずあります。
その子が悪い子だったから悪い事が起こるなんて絶対ありません。宿命と言わざるを得ない理不尽が起こるのが世の中です。
生まれたばかりの子が命を落としてしまうという悲しい事実も起こります。運不運に意味を持たせてはいけないと思います。

3K~経験・勘・根性

そんな「ノーリスクはあり得ない社会」で「ノーリスク」を求められる場所が学校です。
教師は完璧であれ、学校の失敗は認めない。子どもに何かあったらどうするんだとプレッシャーをかけ続けられます。これでは教師になりたい人が減っても致し方ないと思います。

今や学校はブラック企業と呼ばれ、鬱になる教師や登校拒否になる教師も出てくるようになりました。生徒に嫌われることを恐れ、保護者の顔色を窺い、校長の意向に沿うよう自我を消す。
教師に必要なものは3Kと言われ「経験・勘・根性」に依存している環境があるとも言われています。子どもへの愛情でも無ければ、日本の教育の発展への情熱でもありません。「経験・勘・根性」なんです。

ただひたすら求められる「ノーリスク」に応えようと守りに入る学校や教師。これでは子どもが守りに入る生き方しか学べないのは当然ですね。

人間の狂気と残酷

結果、教師の質は低下し、親が学校に意見する場面が増えるようになりました。
今回のこの2つのツイートも、学校や教師を非難するコメントに溢れています。事実確認をしないうちから判決が下され、その教師は悪者として祭り上げられています。

日本の法律上、犯罪者にも人権を認めています。罪を負った人にも更生のチャンスが与えられます。「罪を憎んで人を憎まず」。それが日本の法律です。
でも、このTwitterは更生どころか「なぜそうしたのか」という釈明を聞くチャンスさえ奪います。追い詰め追い込み、命を絶ったとしてもただのゴシップ記事のように忘れて行きます。
人間の狂気と残酷な一面が凝縮されているように思います。

匿名の冷酷さ、集団の狂気。それがTwitterを開ければすぐそこにあります。Twitterは使い方一つで、自分の憎悪を増幅させる兵器へと変わります。平気でノーリスクを他人に強要します。ノーリスクなんて、この世のどこを探してもあり得ないのに・・。

Twitter

子どもは蚊帳の外

今回の水筒と給食事件で、一番大切な事は「子どもは何を学べたか」という事だと思います。子どもを蚊帳の外にして大人だけの間で問題が大きくなっていることがとても違和感です。

この出来事を通して、子どもが何を学んだか、子どもはどう感じたかが何よりも大切です。

世の中を見渡せば理不尽な事は次から次へやってきます。
上司のセクハラ、旦那のDV、孤独な子育て、ママ友の仲間外れ、毒親、いじめ、通り魔、ちかん。あげればきりが無いほど理不尽だらけです。

そんな世の中で子どもは生きて行かなければいけません。ならば、この2つの出来事を学びに変えてあげるのが周りの大人の仕事ではないでしょうか?

子どもを守るのは、安全に設計されつくした公園でも、禁止だらけの学校でもありません。
辛い事は辛いと言い、苦しい事は苦しいと伝え、理不尽が身に降りかかった時も思考を止めず自分が出来る事を考え続ける根気こそ、子ども自身を守る力となります。

そして、何よりも「他者を信じる心」を育てる事。人を信じられなければ、人と協力する事ができません。周りは敵ばかりだと思っていては、いつまでも独りぼっちで生きて行かなくてはいけません。
他者とは力を合わせるもの。そう思える生き方は決して「自己責任」で片づけてしまうような冷たい物にはならないと思います。

大人が成長のチャンスを奪わない

他者を責めるより先に「どうしてそうなったのか」に視点を向けられる客観性。
Twitterで瞬間的にコメントする前に、いったん俯瞰して考え、そのコメントがどんな影響を与えるのかをしっかり見つめて欲しいと思います。

今回の騒動が、当事者の子どもやその周りの子どもたちにとって「嫌な思い出」とならないよう、しっかり学ぶ機会にしていただきたいと願います。
「水道水は飲めるのか」そんな学びを子どもたちが広げてくれるといいなぁと思います。

大人の論争で終わらせず、子ども自身が
・どうすれば良かったか
・何が悪かったのか
・今度同じことが起こったらどうするか
・大人への要望はあるか
・友達同士でどう助け合うか
そんな話し合いをもってくれるといいですね。

間違っていても、未熟でも、自分たちで課題に向き合い、話し合って結論を出したことが大きな一歩となるはずです。
そんな話し合いの中で、子ども同士の尊敬が生まれたり協力が生まれたりします。
せっかくのいい機会です。大人が奪ってしまう事のないよう、生きる力を育てる学びに繋げて欲しいと思います。

という事で、本日はTwitterについて思っている事を書きました。
本来Twitterは、うまく使えばいくらでも幸せを循環させ、人を助け、大きな力を動かすことができる素晴らしいシステムです。
日本人の思いやりやおもてなし、友愛や親切で満たされることを祈っています。

では、今日はこのへんで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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