子どもに不満をぶつけてみた~いい母親の鎧を脱ぐとは

ちょっと朝から悶々とした事がありまして。

最近、末っ子は早起きがめっぽう苦手な私を起こしてくれます。そこだけ聞くと「あ~ダメなお母さんをサポートしていじらしいね~泣。」となるでしょうが、それは自分が朝から学校へ行きたい時だけ。なんでも今日は一時間目から運命の班替えがあるので逃せないらしいです。気持ちは分かります。

スマホのアラームが鳴ると「おはよう。」と私に声をかけ本人はまた眠りに入ります。寝室は障子一枚で隣り合っているので十分聞こえます。私は「おはよう。」と返して末っ子の朝ご飯を用意します。その間も本人は眠っている。「そろそろできるよ。」と声をかけてもまだ眠っている。「カーテン開ければ?」と声をかけても「ん~。」とだけ返事して動かない。

布団

結局テーブルに朝ご飯が並んでも、まだ布団から出てこない。朝から学校へ行く日はいつもこうです。(自称自由登校なので遅刻して行ったり休んだりする日もあります)。
「できたよ。」と声をかけても返事だけ。せっかく用意したのに冷めちゃいます。「なんだ?私は飯炊き女扱いか?」と悶々。普通、お母さんはこれが仕事なんだよなぁ~と思いつつ

「起こすだけ起こして朝ご飯作らせて自分だけ寝てるってあかんでしょ。」

そう伝えました。子どものお世話をするのが母親の仕事で、母親はそれをしたいと思っている・・・なんて勘違いしたまま生きてもらっては大変な事になります。

人が自分の為に動いてくれることはありがたい事。しかも自分の都合に合わせてその準備をしてくれる人なんて拝み倒していいほどの存在。社会に出れば、マネージャーやお手伝いさんという職業があるくらい仕事化しています。親子というだけで「当たり前」と勘違いしては、末っ子がAI時代を生き抜く事はできません。感謝を伝えられる人にならなければ迷惑をかけあえる仲間はできないでしょう。

子どもが小さいうちは腹をくくるしかない

母親だから母性がある。母親だから子どもの世話は喜び。母親だからご飯の準備は当然。
昔はそんな風に思っていました。自分で勝手に生んだんだから、しんどくても辛くても子どもだけはしっかり守ってやらなくてはと信じていました。

確かに、まだ小さいうちは母親の自己犠牲はやむをえません。ご飯も作れなければトイレにも行けない。冷蔵庫だって開けれませんしお風呂にも一人では入れない。母親は大変だししんどいです。
でも、それは期間限定。3年たち、5年たって、子どもの成長と共に母親も少しづつ解放されていく。10年もすれば男の子なら一緒にお風呂に入らせてくれなくなったりします。そうやって母親はちょっとずつ細切れの自分時間を増やしていくんですね。まぁ、私は4人いるので長かったですが(笑)。

小さいうちは何もできないからできる親がお世話をするのは当然。そう思います。そこはもう覚悟しかないです。保育園の準備も兄弟げんかも毎日うるさいのも「今だけ!」と思う事で乗り切ろうと頑張ります。生んだんだから育てるしかありません。

いい母親像に振り回される子育て

ただ、そこを母性愛で乗り切ろう、大人の常識で納得しようと思ってるとどんどん自分を殺さなくてはいけなくなり、子育てが苦しいものに変わっていきます。そうなると子どもを可愛いとは思えなくなっていく。

私は子どもの友達が来る時でさえ、親に伝わるんじゃないかと怖くて部屋を片付けていました。「あそこの家は散らかってるらしいわよ~。」と言われるのが怖かった。だから、子どもの友達が来るのはあまり好きではありませんでしたし子どもが遊びに行く時もそそうが無いようにと口うるさく言っていました。

結局自分が「いい母親」と見られるように常に緊張した状態にあったわけです。そりゃ疲れるし子どもを愛する余裕も生まれませんよね。また「いつお客さんが来てもいいように家は常にきれいにしておきなさい。」と言われて育ったので、お客さんがある度に片づけなくてはいけない自分を責めたりもしていました。今から思うと十分キャパオーバーだったんですけどね。
果ては子どもの失敗さえも許せなくなり、喧嘩して友達に怪我をさせてしまっ時も、自分は母親失格でこの子は社会に通用しない人間になるかもしれない・・・なんて不安にさいなまれていました。きっと酷い顔をしていたでしょうね(笑)。

常識や一般論に合わせて子育てをすると母親自身が自分を見失ってしまいます。それは子どもにとっても大きなデメリットなんですね。

偽らない生き方

いくら友達が多くても自分のいい所しか見せられないならその関係は苦行です。人間関係に悩む事に発展していきます。

簡単に言うと分厚い鎧を着て人との関係を作っている状態です。疲れるし苦しい。もう友達なんていらないとなってしまいます。子どもだって愛せません。更にはそんな自分を分かってくれない旦那さんでさえ憎むようになるかもしれません。何もいい事はありません。

そう考えると、今朝の末っ子の行動は実はとても素晴らしい。ちゃんと甘えて、気を使っていい所を見せようとしない自然体。自分を偽らず「眠いから寝ていた」だけという末っ子は、私にすれば尊敬に値します。自分に正直な生き方は、今のストレス社会を生きる上で重要です。どう見えるかよりも、どうしたいか・・ですね。

黙して語らずでは伝わらない

が、迷惑をかけあう為には迷惑をかけたときは心からの感謝をしなければ成り立ちません。それが持ちつ持たれつで、片方が「当然」と思ってしまっては周りに人はいなくなります。ことに、これからはAI時代が到来すると言われていて、格差が広がり仕事が無くなり、生きるためには助け合いが必要だと言われています。「母親だから当然だよね~。」と思っていては今後の人生を楽しむことはできません。

確かに、うちの末っ子は当然とは思っていないでしょうし、いつも感謝をしてくれます。母子家庭なので私への配慮は人一番多いかもしれません。

ではなぜ私が末っ子に意見したかと言うと「その態度では伝わらない」という事を教えたかったからです。表現方法は大事だという事を分かって欲しかった。自分はそれでいいと思っていても、黙して語らずでは何も伝わらない。勝手に「相手は理解してくれている」と思っていても、そこには親子でさえ思い込みという勘違いが生まれます。それがひずみになって憎しみに発展していくというのはよくある話です。

母親を動かすマネジメント

きっと末っ子は「女って邪魔くせ~。母親ってめんどくせ~。」と思った事でしょう。そう、女は邪魔くさいし、母親というのは面倒くさい存在です(笑)。「いつもありがとう。」の一言を欲しいと思ったりしちゃう生き物なのです。

でも、そのほんの少しのいたわりや、ほんの少しの心遣いでいくらでも頑張れてしまう生き物でもあります。ある意味行動心理学であり、母親を動かすマネジメントです(笑)。

末っ子がそれを学ぶいい機会だったので、あえて朝から悶々をぶつけてみました。本人は機嫌悪そうでしたが、笑顔でお見送りしたので今頃はもう忘れているでしょう。その程度でいいです。女は面倒臭いと気づくきっかけになればOKなんです。

私も伝えた事で悶々は消えました。黙っていては不満に発展していたでしょうね。

苦手は苦手でいい

母親だって早起きが苦手だったり、料理が苦手だったり、人見知りだったりするんです。子どもが小さいうちはそんな自分に無理をさせなければなりませんが、ある程度大きくなれば理解してくれるようになります。
友達のお母さんと比べて「うちの母親は・・。」と捉えられるようになります。昔はそれが怖かったのですが、実はそうなる事で母親は子どもに甘えられるようになるんですね。

「こんなお母さんでごめんね。」ではなく「こんなだけど頑張ってるよ。」でいいんです。小さいうちは「あのお母さんがいい。」とか「あの家がいい。」とか好き放題言われてへこむ事もありますが、大きくなるにつれ「うちのおかん、早起き苦手なのに頑張ってくれてたんだな~。」って見る事ができるようになります。そうなって初めて子育ては報われるのかもしれません。

欠点は愛嬌

黙して語らずでは伝わらない。
親子と言えど、ちゃんと思いを伝えなければすれ違いが生まれます。

今回の末っ子への意見は、もしかしたら「私だって眠いのにぐーすか寝やがって!」というとてつもなく子どもってぽい感情だったかもしれません。でも、それを51才の母親が15歳の息子に伝える事はとても大事だと思います。
お母さんだって人間。お母さんだって拗ねる。お母さんだって八つ当たりする。そう知って、子どもは親を超えて行くんではないかと思います。親が完璧だと子どもは欠点を見せられなくなります。

逆にそんな人間味を見せられない子育てはストレスがたまりますね。
お互いがフラットな状態でいられるよう、無理をせず、甘えたり迷惑かけたりしながら家族というコミュニティを回してみて下さい。

人間だから凸凹は当然。欠点があるから愛嬌になります。
「いい母親」という鎧を脱いで、一人の人間としてかかわってみてください。子どもが頼もしく感じられますよ。

という事で今日はこの辺で。
ではまた。

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